2026.07.09
- 悠子の日記
とうとう祖母のお葬式にも現れなかった母。

とうとう、最期の最期まで、母は、自分の母(私の祖母)に会おうとはしませんでした。祖母はとっても可哀想でした。
なぜお葬式にこなかったかというと、祖母が、「私が未婚の母になること」を応援してくれて、私の味方になってくれたからです。すると、母は私だけではなく祖母とも縁を切ってしまったんです。
私が未婚の母になることについては、母は私の出産やその後の生活を心配して反対したわけではないんです。事実、私がもらうはずの父の遺産も、全て母にとられてしまいました。
最初は「自分の貯金意外にも遺産を残してもらっているから、子供1人育てるのは大丈夫」と思っていたのですが、まさかの母が、私の遺産を全て持っていったのです。そこから私の家計は大きく変化して、友達にお金を借りていた時期もありました。
母が縁を切ってきた理由は、愛情ではなく「世間体」…。事実、私の命懸けの出産にもきてくれなかったし、産後うつで自殺もありえた場面でも、助けにきてくれませんでした。
つまり私は捨てられたと同時に、母から「別に死んでも良い存在だと思われている」ということが分かったんです。
「母は変わっているけど、流石に娘の命懸けの出産くらい来てくれるだろうな」と淡い期待を持ったのが間違いでした。母とは、行きたくない海外旅行にも2人で散々生かされたのに、恩を仇で返された気持ちです。
そして、最近、そんな私を応援してくれていた祖母、叔母が立て続けに亡くなりました。
祖母が亡くなった時は私は入院中だったのでお葬式に行けませんでした…。今もまだバタバタしていて、手を合わせにいけていません。
とても悲しいです。祖母は、母に会ってから最期をむかえたかったはずなので。
お葬式にこなかったのはもちろんのこと、それと同時に、母はスマホの番号をかえたようで、親戚は1人として母と連絡をとることができなくなりました。親戚全員、母がどこでどういう暮らしをしているのか知りません。
ただ分かっていることは、私の次は今度は弟と共依存関係になって一緒に住んでいるんだろうということ。ちなみに弟は引きこもりです。弟も、無理やり母に留学に行かされて、病んでしまいました。留学先から「もう死にそうだ」と自殺をほのめかす電話がきたので、母はすぐに学校を辞めさせたのですが、私の時とはえらく対応が違いますよね。
私は「産後うつで死にそうだ」といっても、「勝手にすれば」と言われましたし、私が死んでもいいの?と聞くと「…」と無言で電話が切れました。その時のショックといったらなかったですね。一応「母親は母親だ」と、少しは期待していたので。
ーーー
祖母はずっと、「娘(私の母)に会いたい」と言って、時には涙することもありました。
「孫の悠子のことも、ひ孫のYちゃんのことも大好きで可愛いけど、やっぱり自分の娘が一番可愛いのに、会えないなんて…」と、会うたびに言っていました。
「やっぱり娘と息子が一番可愛い」と。
私から見た祖母は逞しく愛情深い人で、きっと愛情を持って母を育てたように思います。母はどう思っているか知りませんが。
それなのに、私が未婚の母になって、母から縁を切られたことが原因で、祖母も母に会えなくなったので、責任も感じます。
ただ、母はサイコパスなんだと最近思って、それで母の悪いところも諦められるようになりました。
サイコパス…。
というのも、母は自分の父親を、母が15歳の頃に蜘蛛膜下出血で突然亡くしているんですね。
つまり私の母方の祖父は40代で亡くなっているんです。
そして、そんな祖父が蜘蛛膜下出血で亡くなった時、母が自分の父親の遺体を見て第一声言い放ったのが、「ふんw自業自得やな」だったそうです。それを祖母から聞いた時、私は諦めるという気持ちを覚えました。
「母はきっとサイコパスなんだ。サイコパスは脳の問題で母のせいではないから、母も苦しんでいるのかもしれない。そして、サイコパスな人に正常な行動を求めても無駄だ。諦めよう」
そんな感じです。
祖母は、15歳の母が自分の父親の遺体をみて、「ふんw自業自得やな」と鼻で笑ったのをみて、「なんて怖いことを言う子なの」と心底娘が怖くなったと言っていました。でも、「それでも娘は私の可愛い娘だ」と自分に言い聞かせたんだとか。
そんな母は多分、仮に私が先に死んでもお葬式にはきてくれないだろうし、仮に母が先に死んでもお葬式には呼ばれないんだろうな、と思います。
私は娘と1秒たりとも離れたくないくらい娘を愛しているので、娘と絶縁するなんて信じられません。私なら、娘が未婚の母になろうと、どんな状況であろうと、
妊娠で不安定な我が子を放ってはおけないだろうし、絶対に味方でいるという自信があります。
「母はきっと、当時お金持ちだった父を繋ぎ止める道具として、私を産んだんだろうな」そう思っています。
というのも、父が亡くなった瞬間、子育てをサボって、飲み歩くようになったような人なので。
しかも母は私の友達をとるような人でした。私には3歳年上の、当時16歳(私は13歳)の友達がいたのですが、母は、私よりその子を可愛がり始め、母が夜中まで帰ってこないと思ったら、未成年の16歳の私の友達をつれて、バーで飲み歩き、ベロベロになって帰ってくるというのは日常茶飯事でした。
私はその度に、母が事故に巻き込まれたんじゃないかと、夜中に帰ってくるまで泣きながら心配していたのですが、母は「ごめん」とも言わず。
それにしても、未成年の自分の娘の友達をバーにつれていって、お酒とタバコを教える母…ドン引きでした。
今考えると「過干渉型の母親」の度をこえていますね。
私が母に妊娠を告げた時に流した母の涙は、「自分が可哀想」という涙でした。
私は母に愛されていなかったのは確実だと言い切れます。でもだからこそ、娘のことは、深い愛で包んで、愛していきたいと思います。
親を頼れないシングルマザーは本当に大変です。周りのシングルマザーでも、シングルマザーでなくても、結局ほとんどの子が親を頼っています。
それは悪いことではないけど、それに比べ私の子育ての環境はこんなにも悪いのに、スクスク可愛く育ってくれている娘には感謝しかありません。
最後に娘が私が入院中にくれたお手紙を。
「ママ、大丈夫?いつお家に帰れるかはわからないけど、いつかは絶対帰れるから、いっしょに頑張ろうね!悪いやつがいたら、Yちゃんがやっつけちゃうよ!だからママは大丈夫だからね!」
というものでした。その手紙を見て泣いていたら、他の人もみてもらい泣きをしていたくらい、素敵な愛の手紙をもらいました。
でも、これ以上娘に負担はかけたくないですね。
それにしても、母の話をしていたら、病状がひどくなりそうです。前に話した、「母はラプンツェルの継母にソックリだ」と言いましたが、それを超えているかもしれません。
と、後味の悪い日記を読ませてしまいすみませんでした。
いつも読んでくれるみなさん、ありがとうございます!
一番人気の記事は、このブログの最初のほうにかいた「5年前、愛人契約をせまされました」の記事です笑。
ぜひ読んでみてください♪
Text:Yuko Nishiuchi