2026.07.05

  • 悠子の日記
  • 双極性障害

毒母か、毒娘か。

なんとなく、自分のことを書いてみようと思います。決してお涙頂戴にしたくはないのですが、なかなかのハードな人生だったため、そう聞こえてしまうかもしれません。

ディズニーの「塔の上のラプンツェル」をご存知でしょうか?あの話は、「もしかして、ラプンツェルって私…?」と思うほど、人生や登場人物が似ているんです。

ラプンツェルの継母が私の実の母で、ラプンツェルが私。その情報をもとにラプンツェルを見てもらえると、「なるほど、こうやって育ったのか」と理解してもらえると思います。それほど似てるんです。

ラプンツェルは過干渉方の毒親の話ですよね。「あなたのことを思って」という言葉を使って子供を支配して外には出さない。良く言えば「箱入り娘」ですが、それどころの話ではない。

過干渉方の毒親の口癖は「あなたのことを思って」なのですが、まさに私の母はそうやって私をコントロールしようとする人でした。自分の支配下におくために、外に出さない。友達との旅行は許さないけど、自分との旅行には来なさいと言う。さらに「私たち友達親子なの」が口癖。いやいや、友達になった覚えないし。

当時「友達親子」という言葉が流行ったのも災難でした。それがさも良いことのようにもてはやされてましたが、親子は親子。友達になることなんてありません。でも、母は、私との旅行の写真を周りの友達に見せて、周囲から「友達親子やね〜」と言われることを自慢していました。

つまり母にとって私は友達の役割であって、娘ではなかったんです。そうすると、家にはもう父も母もいない。私は自分で自分を育ててきたような感覚で生きています。

それで、10歳で最愛のまともな父を亡くし、弟は13歳で留学させられ(留学というより、ちょっとグレたからって無理やりスイスのインターに捨てた)、家の中には母と私だけ。そう、まるで継母とラプンツェルだけ、という環境で育ちました。父がいた頃は守られてたんですけどね。

ただ、私は中学生の頃には「これはおかしい」と気づいていて、中3の時に「私、お母さんといたらダメになる気がする。」と宣言したことも昨日のことのように覚えています。すると、「だかが子供が何いってんのw」みたいな反応をされました。

色々やられたことを書き出すとキリがないので、小さい頃から母親にされたことを箇条書きにしてみます。

・PCにハマってたらLANカードを投げられ手の甲に深い傷ができた

・リビングで中学受験の勉強をしていたら急に顔にお茶をかけられた。理由は「算数の成績が悪い。そう言う時、⚫︎⚫︎ちゃんのお母さんは水をかけていたから」とのこと。

・好きな色の服を着せてもらえなかった。黄色が好きで黄色が着たかったけど、「あんたには似合わない」と何度も言われ、黄色を着ることができなかった。さらには自分で色を選ぶことができなくなり、さらには自分の人生の選択まで困難になった。

・真冬の日に弟が少し悪いことをしただけで、雪の積もっている庭に放り出していた。今思うと生死に関わる虐待。

・私がニキビが気になるから鏡を見てたら「自分のこと可愛いとでも思ってんの?この色気狂い!アバズレ」などの暴言を受けていた、(多分、母より私の方が容姿がマシなのでw白雪姫みたいに嫉妬されていた。

・友達のお母さんが「悠ちゃんは可愛いね」などと褒めると、「どこが?ニキビだらけやん。」などと絶対に否定されていた。(他人に子供が褒められてそれを否定するのは、子供を1人格として見ていない証拠。自分の所有物だと思っているから謙遜するけど、本当は謙遜などせずに「可愛いだって!よかったね!」などと返事するのが正解らしい。

・彼氏とまでいかない男友達ができようもんなら住所を調べて車で見に行くような人だった

…と、書いていると重くなってきたのでやめます笑。

とりあえず言えることは、精神的、身体的にも虐待を受けていたけれど、外面がめちゃくちゃいいので誰にも気づかれず。うちは「過干渉」という精神的虐待が主だったので、傷などは派手にないので誰も気づいてくれず、「良いお母さんだねー」と言われるのがとても辛かったですね。

で、母はアル中でもありました。ビールのみながら料理作って、ご飯食べながらワイン何本もあけて。それで酔いがまわってきたら突然暴言を吐いてくる。

あとは、私はピアニストになりたくもなければ、神戸で一番の中学に行きたいと思ったこともないのに、母自身が「音楽の世界で活躍するのが夢」だったらしく、その夢を押し付けるかのように、中学受験では一番良い中学、ピアノも東京芸大を目指すと言われていて、やめたくてもなかなかやめられず、友達ともあまり遊べなかったんです。もちろん、中学も大学も行く気がないから行けるはずがなく、塾の先生に自分で「目指すのやめます」と言ってやめた。ピアノの先生にも、母に無断で17歳の時にやめました。

その時の母に支配されていた人生を思うと、今の自由な人生が本当に楽園のように感じます。決して贅沢できる環境じゃないし、不安もいっぱいあるけど、それでも今の方が良い。

そんな母は自分がアダルトチルドレンで愛着障害があるということを常々私に言っていました。そんなこと言われたら子供の私は心配するに決まってるし、親のカウンセラー役なんて似が重すぎるし、その頃から離人症の症状やチックが出たのも思い出します。

今、子供に相談してる親御さん。相談するならカウンセラーか大人にしてください。子供には相談にのる義務もメンタルもありません。

そんな母の父もアル中だったらしくて、精神病院に入院した時も「アル中の子供はアル中になりやすい。絶対繰り返さないように」と言われました。幸い私はタバコもアルコールも無理なので、その点では娘に受け継がれなくて良かったと安心しています。

今回は、3ヶ月の精神病棟への入院を3回も繰り返し、自分なりに自己分析した結果、私の双極性障害の源因は母親、そして爆発するトリガーとなったのがavexでの2歳上の女性からの凄まじいイジメでした。どっちもキツかったな…。

双極性障害など、心の病は、一度なると治りません。「寛解はあっても完治はない」のが精神病なんです。

つまり、一生、双極性障害という錘を縛り付けられたわけです。許せるわけがなくても、許しても許さなくてもどうにもならない。でも、良く人は「許すことで救われる」と言うけど、私は違うと思う。許そうとすると辛くなるし、許すことができない自分を責めてしまう。だから、「許さない」と恨み続けるのも、自分を癒す一つの方法だと私は思っています。私はまだ、許すことも、忘れることもできません。ただ、許せない自分を責めるのも、もうやめたいと思っています。

母はアル中でした。そして、あーだこーだ、自分の友達の悪口を、まだ15歳の私に聞かせてくるような人でした。

この行動自体が間違っています。というのも。子供の前で親が悪口を言うと、子供は「仲良くしてても悪口を言うものなんだ」と学習し、人間不信になってしまうんです。

私は絶対そんな母親にはならない。娘には好きなことをして生きていって欲しい。人を信じられる子になってほしい。そう思って子育てをしています。今のところ、純粋に、心清らかに育ってくれていると思うので、良かったと思っています。

娘の名前の花言葉は「健康美」「純粋な恋」。

今のところ、すごく自分の名前を気に入ってくれてるらしくて、母としては嬉しいしありがたいです。

あれ、自分の話をするつもりが娘の話になっちゃった!

仕事を休みすぎて、文章をまとめる力がなくなってきました。というか、母のことを書くのが途中で辛くなった…。

それではこのへんで!

 

 

Text:Yuko Nishiuchi

西内 悠子 Nishiuchi Yuko

Shukugawa→Tokyo→Kobe
ブロガー、OL、ライターを経て今に至ります。

学歴等

<学歴>
夙川小学校
親和女子中学校
親和女子高等学校
同志社大学文学部哲学科

<職歴>
avex株式会社(正社員)
講談社ライター(業務委託)
早稲田大学入試パンフレット制作
著書執筆、等。

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