2026.07.06
- 悠子の日記
父「ブランコから飛んでみろー!」

私が10歳まで生きてくれた父。10年しか一緒にいなかったのに未だにどこからか愛情をくれているような父。今も辛いことがあれば、「父ならどうするかな」と考える指針になってくれる父。10年間で一生分遊んでくれた父。心から尊敬する父。
そんな父が今でも大好きです。父の話をすると、未だ、込み上げてくるものがあります。もう亡くなってから27年も経っているのに、大好きな親の死はいつまで経っても色褪せず、悲しいものです。
父はいつも、体験をもって私に大切なことを教えてくれる人でした。
たとえば、「おい、悠子、公園いくぞ!」と言われついて行ったら、「ブランコから飛んでみろ!」と言われ、私は言われた通りに、ブランコから勢いをつけてダイブ!!したんですが、その時に膝からズッコケて大泣きしました。
痛いし、悔しいし!!
で、その時に父は「悠子よくやった!今日はできなくても、またできるようになるからな。これが、【失敗は成功のもと】や!失敗するから成功するんやで。じゃあ、今日は帰るぞ!」
と、泣きじゃくる私に言い聞かせて手を繋いで、いつもより遠くの公園から家まで歩いて帰った記憶があります。多分、まだ4歳くらいの時の記憶じゃないかな。それでも、鮮明に私の心に残っています。
泣きじゃくりながらの帰り道、公園の後ろの方をふと振り返ると、椅子にお爺さんが座っていて、私たち親子のことを、「微笑ましいなぁ」というような笑顔で見てくれていて「頑張ったね」と言うかのように、ニコニコしながら頷いてくれていたことも、今でも覚えています。
緑がざわざわしていて、おじいさんがベンチにいるだけの、ひとけのない、小さな小さな公園での一コマ。
今思えば、父は最初から私が失敗すると分かっていたんだと思います。でも「チャレンジすること」「失敗すること」、そして失敗を重ねた先に成功があることを、身をもって教えてくれたんです。
だから私は今でも、何か失敗すると、
27年以上前の父の言葉を思い出します。
「大丈夫、失敗は成功のもとだ」
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ほかにも色々と体験を通して父は10年間、私にいろいろなことを教えてくれましたが、一番覚えているのがこのエピソードです。
父との思い出は昨日の事のように残っています。
ここに父とのことや、父の自慢、父のひととなりを書こうとすれば、本一冊、10万文字〜20万文字でも足りないくらいの思い出を10年の中で残してくれました。
そんな父は子供をつくることには反対だったそうです。
自分が55歳という高齢だということ、子供を産んだら色弱(色が見えにくい障害)が遺伝するということで、
父は子供が色弱になってしまうのが可哀想だと、子供を作るのを反対していたらしいです。
でも、今私が父に言いたいのが、とにかく「産んでくれてありがとう」ということです。
そこで、産まれてこれなかったら、父との出会いも娘との出会いもなかったわけですから、本当に産まれてきて良かったと思っています。
今の人生にはもちろん辛いこともあります。たとえば双極性障害は「死ぬほど辛い」と思うこともあるけれど、それでも死にたいとは思いません。
私の目標は父のように在ること。特にお金の面でも、どんな場面でも、「ずるいこと」は絶対しない人でした。
私も父のように実体験を通して楽しく子育てをして、良き背中を見せて、娘にも「産んでくれてありがとう」と言い続けてもらうのが今の目標です。
娘がちょうど4歳、話して文字を書けるようになったあたりから、いつもお手紙に「産んでくれてありがとう」と書いてくれるようになりました。
あとは、「今日もがんばろうね。私は保育園!ママはお仕事!無理しないでね」という手紙も4歳の時にくれました。忘れません。
娘には敢えて文字を教えていなかったのですが(文字のない非言語な世界は小さな頃だけの貴重な期間なので)、
「ママにお手紙を書きたい」と保育園の先生に自分から言って、教えてもらって、私が知らないところで、ひらがな、カタカナをマスターしていました。それで、毎日のようにお手紙をくれて。
私は、父からも娘からもこんなに愛されて、本当に幸せだなぁ、と思っています。
それにしても、こういう思いをこの時代だからこそネット上に残せて、娘にもいつか伝えられることも、有り難いことだな、と思っています。
いつかこのブログ全体を通して、これが娘へのプレゼントになるようにしたいなと思っています。
なぜなら、私は10歳までの父しかしらない。
父が今の時代にいて、こうやって色々な想いを書いてくれていたら、今の私から見て、父親はどんな人物像だったのか知りたいなと思うからです。
100歳まで死ぬ気はないけど、これは、30代からの終活ですね笑。
Text:Yuko Nishiuchi